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小鹿田焼について ~小鹿田焼の歴史~
シンプルだけど奥深い。伝統の焼ものを日々のくらしへ。
江戸徳川幕府の直轄地「天領日田」。
「小鹿田焼」とは
「小鹿田焼」。「おんたやき」と読み、大分県日田市皿山の小鹿田焼の里で江戸時代から続く焼きものです。
その地名が昔、小鹿田と呼ばれていたことに名前の由来があります。
昔ながらの技法で作陶されたものでありながら、新しさや可愛らしさも感じられる見た目で、力強くも奥深くどこか優しい雰囲気を感じます。
素朴な風合いがあり、どっしりとした形に見えますが、持ってみると重量はあまりありません。
手になじみ、扱いやすい、まさに日用雑貨にふさわしい焼物です。
その窯元は複数ありますが、伝統の技術を一子相伝で受け継いできた歴史があり、焼物に個人名を入れたりせず、「小鹿田焼」というブランドをずっと守ってきました。
平成7年には国の重要無形文化財保持団体に、平成20年には、国の重要文化的景観にも指定されました。
伝統と奥義を受け継いだ職人が守ってきた、知る人ぞ知る焼きものが「小鹿田焼」なのです。
おんた焼の歴史
小鹿田焼の開窯
今から300年程前の宝永 2年(1705年)に幕府直轄領内の生活雑貨を供給するために開窯(かいよう)したと伝えられ、現在は日田天領の地に10軒の窯元が存在します。
福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の分窯で、小石原焼に用いられる技法の影響を強く受けています。
江戸時代中期に筑前の国小石原焼から陶工・柳瀬三右衛門を招いて、地元の大鶴村の黒木家・坂本家の協力で開窯された李朝系の登り窯です。
素朴な普段使いの「民陶(みんとう)」で、開窯当時にもたらされた焼き物の技術や伝統は、一子相伝でかたくなに守り続けられ、今の小鹿田焼の姿があります。
柳宗悦とバーナード・リーチ
民芸運動の創始者として知られる柳宗悦(やなぎ むねよし)氏。昭和6年、柳氏が皿山に訪れ小鹿田焼の伝統ある技法と素朴であたたかい雰囲気を絶賛し、世に広めました。
昭和29年には、柳宗悦らとともに民芸運動に参加していた世界的な陶芸家であり、デザイナー・画家でもある英国人のバーナード・リーチ氏が皿山に3週間滞在し、滞在中には小鹿田焼の作陶もしたそうです。
リーチの指導した取手付けの手法は、現在も小鹿田焼で受け継がれています。そしてリーチ氏によって海外にも紹介され日本を代表する民芸品としての地位を確立しました。